病気の本質を語らずして健康の本質は語れない
昨日、魚座満月にて衝撃的な気付き。
当たり前のことなんだけど
わかっていたことなんだけど
医者は病気の専門家。
医者は健康の専門家ではない。
病気とはどんなものなのか
医学部でも医者になてからも
あらゆる観点からそれを学ぶわけだから。
(わたしの学んだ自然医学はそれでも
それに加えてそもそものところも学ぶけど)
そしてだからわたし自身
様々なトラウマやら疾患を抱え
一時は死にかけることにもなり
結果自分を癒す必要から
この道に導かれてきたのだから
トラウマ歴、病気歴は結構なもの((。´д`)o
そして実際
セラピストとしても
ドクターとしても
トラウマやら病気やらの専門家として
10年以上も教育、トレーニング、
実践を積んできたわけです。
なのに!!
なのに!!!!!
病気やトラウマについて
もう関わりたくなかったわたし発見Σ(´□` ) ハゥ
だって
病気がトラウマが
どれだけ痛くて
どれだけ辛くて
どれだけ苦しいのか
経験してきたから。
自分自身も嫌だったけど
最愛の人まで
トラウマを抱え
末期ガンを患い
死んでしまったのだから。
病気の治る治らないに
善悪を抱き合わせて
固執する周囲の反応、
物理的には末期ガンだとしても
結局天寿を全うし
死ぬべき時に死んだのだと
わかっていたはずなのに
もうそんなこと
感じたくなくて
考えたくもなくて
知らず知らずのうちに
病気やトラウマから逃げていた。
病気を悪者にしたままだった。
自分さえも悪者のままだった(´;Д;`)。
けれども、
だ。
それでも
じっくりじっくりと
わたしが味わってきたことがある。
味わったからこそ
その本質がわかること、
体感できることを
身を以て実践してきた。
喪失の
痛みも
悲しみも
苦しみも
絶対的な
優しさに
愛しさに
穏やかさに
生きることとは
いのちとは
どれだけ豊かで
そして
美しいものなのか。
わたしの愛する魂夫が
いのちをかけて教えてくれてきたこと。
それは
良い悪い、ある無い、
あらゆる時空間や常識を超えた事実。
失ったからわかった。
失わなければわからなかった。
悲しみを語らずして愛は語れない。
死を語らずして生は語れない。
だって全ては
繋がっているから。
それがわたしたちの
いのちの本質だから。
悲しみの本質も
死の本質も
苦しみや痛みや嘆きだけではないこと。
だから
病気の本質だって
たんなる苦しみや痛みではないこと。
病気になったからこそ
体験できるいのちの美しさがある。
病気になったからこそ
味わうことのできる
かけがえのない健康がある。
たんに病気といっても
様々症状、様々な疾患、
様々な状態がある。
病気は怠けたからとか
それ食べたからとか
悪い行いをしたからとか
罰や報いのためになるものじゃない。
いい人だって
ベジタリアンだって
子供だって
お金持ちだって
美女だって
病気になったりする。
何をそもそも
大切にしたいのか。
何をそもそも
大切にするべきなのか。
つまり 自分にとって
何が一番大切なのか、
自分とは誰なのか、
それを明確にするプロセスが癒しであり
それが医療の本質でもあり
病気の本質でもあり
医者の目指すところ。
そもそも病気の本質とは何なのか。
わたし自身の
病気やトラウマをきっかけに
学んできたこと、
セラピストとして
医者として
たくさんの患者さんと
病気の経験を共有してきたこと、
最愛の人の妻として
その彼の病気にも寄り添い
その彼の死を受け入れてきたこと、
それらを通して
わたし自身が体験してきた
病気の本質とは
生きていること、
愛し合っていること、
いのちの美しさを味わい
体感することのできる
かけがえのない豊かな経験。
生きているからこそ
体を持っているからこそ
心があるからこそ
愛しているからこそ
経験できること。
それが病気の本質。
だからこそ
そこに込められたメッセージ
からだが教えてくれていること
こころが反応していることを
全てを受け入れ、許し、そして
愛すことのできる
私たちの本質に
結局戻ってくる。
結局
わたしたちは誰なのか、
わたしたちは何なのか、
そこに戻ってくる。
わたしたちは そこまでして
本当のわたしを思い出したい。
受け入れたい、許したい、愛したい。
そんなにも美しい愛の存在だと
そもそも知っているのだから。
だから
医は仁術なり。
わたしの大好きな江戸時代の医者
貝原益軒は
医療は愛であると言う言葉を残してる。
病気の本質を語らずして健康の本質は語れない。
今日改めて、
やっぱりわたしって
愛の人だな❤️
と、
そしてそれを
愛する魂夫と共に体現していく
愛の人生を選んで創造しているのだと
感動したのでした✨
今日のラジオもそこに繋がるかも。
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