自分の人生劇場の一幕を全うするということ:確固たる「悲劇のヒロイン」の肯定的自己否定

2018年7月7日、七夕の投稿を再投稿。


こちらのラジオでちょこっとそういえば

そんなブログ書いたなって

話題に出たから。

Deliciously TOKYOスターライト☆【第522回】どんなわたしも見捨てない すべてを見届け受け入れ寄り添う強さと優しさと美しさ

本日も 起こった出来事を ただつらつら話す つらつらラジオ♪ 今日は大人見してしまった TBS系TVドラマ、白夜行。 愛がないところには 憎しみも生まれない。 毎回気分が上下するたびに 正攻法で感情に浸らないように 頑張ってきた。 マイナスにしか思えない自分のサイクル。 向き合うということは 光を入れるということ。 誰にでもあるであろう人間の闇。 社会でやり過ごしている方が きもちわるくて不潔? 自分が経験している 絶望とか悲しみとか 痛みとか憎しみとか しっかりと じっくりと ほんとうにとことん味わって、 その自分に寄り添うからこそ その自分が ようやく前に進める。 その自分を 見捨てなかった自分に この自分が いちばん感謝する。 そうしなかった そうできなかった 自分への悲しみ、 怒り、恨み、つらみ、 結局それらが 一番自分を苦しめる。 他人でもトラウマでも 記憶でもなくて 自分が自分を傷つけている。 だから 自分を癒せるのは 自分しかいない。 わたしたちはやっぱり 全てが一つに繋がっている地球、 本日もDr.まみの故郷の海の音、 それらを共鳴し、地球と一つになる その自身の本質にチューニングする ちょこっと瞑想で締めくくります。 どうぞご一緒にお楽しみください♪

Deliciously TOKYOスターライト☆【第522回】どんなわたしも見捨てない すべてを見届け受け入れ寄り添う強さと優しさと美しさ


あぁ、こんなことも書いてたんだなあって

懐かしいなぁ。


やっぱり自分を見守りそして生きていくのは

自分しかいないからね、そういうことだ。


そしてそうやって

一生懸命自分を生きてきてた私、

健気だよね、可愛いよね笑


一年も経つとそんな心の余裕も

でてくるものなんだね。


では、以下はそのままで。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

(2年前 大阪での天神祭の花火大会にて)

今日はロマンチック七夕🎋
【満席御礼】ありがとう❤️
麗しの宇宙人集う
美味しいを分かち愛な

デリシャス夕食会をするので
とっても楽しみです✨


で、

今朝、

FBで


女性は悲劇のヒロインになりがちだから
それをやめませんか、


っていう投稿を目にしまして

感情的に揺らいだわたし。

∑( ̄- ̄;)ドキ・・


わたしもずっと

そうなりがちだから

あぁ、マゾな魂、

ずっとずっとダメだと思って
ならないように

なっちゃいけないと

思ってきてたんだけどね。


だから引き寄せたよね苦笑


また気づいてしまった( ´д`)よ



別に
悲劇のヒロインでもよくないか?



ってか、

悲劇のヒロインてなんなんだ?


人生いろいろあるんだもの、

自分の人生に落胆して

嘆き悲しんでしまう、

そんな時もあるよね?


みんな

それぞれ自分の人生劇場の

それぞれヒーロー、ヒロイン、

そういう設定じゃないの?


自分の人生なのに

脇役って

なくないか?



 「わが神、わが神。 どうして、私をお見捨てになったのですか。」                       (聖書・詩篇22:1)



世界で一番読まれる書物、

聖書の中でも

十字架にかけられたキリストは

そう嘆いた。

グリューネヴァルト「イーゼンハイム祭壇画」(第1面、1511~15年)



引き回しの処刑の間、人々にイエスが見せたものは無抵抗で、何もできない無力な姿だった。イエスは自分を裏切ったものに恨みの言葉一つ口にしなかった。彼は「悲しみの人」であった。
遠藤周作 「イエスの生涯」


嘆きつつも

その悲しみ、痛みを

全て受け入れ、
自分を裏切ったり

陥れたものたちを
責めたり非難することは
全くしなかったイエス・キリスト。


キリストなんて
めっちゃ

悲劇のヒーローそのものだよね?



そして加えてキリストは

裏切ったものたちに対しても

こう述べている。



父よ、彼らをお許しください。
彼らは自分が何をしているのかわからないのです。



この意図ってのは


ここまでされても
僕は痛くもかゆくもないよ。
全然悲しくもないし、辛くもないさ。
彼らは全然わからなくたって
全然悪くないしね、許してあげてね、
どうせ自分だけ背負えばなんとかなるんだから
僕はそれで大丈夫だよー!


ってことじゃなくって


もちろん痛くて仕方ない。
かなり悲しく、辛く、絶望を味わってるよ。
けれども彼らも
いつか自らがその痛みを体験するときに
ようやくその思いがわかることを
僕は知っている。
自分の行いの重要さを学ぶには
その人生経験を生きることからしかないからこそ
彼らの人生においては彼らのタイミングが
やがてやってくることを
僕は知っている。
私たち人間は皆
その人間であるという経験を全うするために
生まれてきて、今を生きて、死んでいくものなんだ。



そこに

キリストの深い苦悩と同時に

それでも止まない確固たる

信頼と愛がそこにあることを

わたしは感じる。


そして

世界中の人が
このキリストの正直な体験

痛み、裏切り、悲しみ、絶望、もろもろを

聖書をとおしてともに感じ、

しかしそれだけで終わらなかった

キリストの愛と光の強さと大きさに

勇気付けられ、励まされるのではないだろうか。


そのキリストの生涯に

自分の人生劇場を照らし合わせ

自らの悲しみ、苦しみを受け入れ
その中にようやく、

それでも生きる希望を見出すのではないだろうか。



キリストが


人間の人生は
いろんなことあるけど、
悲しんじゃいけない、
嘆いちゃいけない、
前を向かなくちゃいけない、
歯を食いしばって
十字架はりつけも痛いけど
痛くないぞ、
頑張らなくちゃいけないー
ウ──(`ヘ´;)ゞ──ン

僕は
悲劇のヒーローなんかじゃないんだ!

だからあなたもそんなことぐらい
我慢しなさい! 

悲劇のヒロインぶるのやめようよ!

頑張れ!
くじけるな!!





って言ってたら

ここまできっと

広がらなかっただろうね笑



なぜか日本にくると

調子狂うのは

何かいいことを他人にしていると

「いい子ぶってる」とかいうし、

何か悲しんでると

「悲劇のヒロインぶってる」とか、

びっくりするような反応が多いこと。


素直になぜ

親切ですね、

悲しいですね、

それで止まれないのだろう?


なぜ、その人が人生経験や行動を

全うすることを見守れないのか?


なぜ、そんなにも

他人の人生に

口を出したがるのだろう?


それだけ

たくさんの人が

きっと

我慢してきてるんだよね。

我慢してきたんだよね。


わたしも我慢したんだから
我慢しなよ。

わたしも言われたんだから
あなたも言われても
仕方ないでしょ。



わたしはありがたいことに

海外で生活してこれたから
この国の蔓延的社会現象から

避難させてもらえてた。


けれども

この反応が

やっぱりこの国に帰ってきて

どうしても怖くて

ビクビクしていた。


20年ぶりに

日本で生活するというのは

そういうことでもあるんだな。


だからまぁ結局は

そういう目で
わたし自身が

わたしを見てたんだよね。


20年ぶりの日本での生活だから

我慢しなくちゃいけないって
勝手に思い込んでたからね。


だけど今朝、

わたしはいい加減



悲劇のヒロインでもいいや。( ̄ω ̄)



そう思った。


明らめた。


だって

いまのわたしの

人生劇場の幕は

悲しみのシーンだし。


愛する人に出会って

全てを捨てる覚悟で

この日本に戻ってきて

けれどもその人は

死んでしまった。


悲しくないわけない。


そしてね

ちゃんとその

悲しみの一幕を演じきるって

その悲しみをしっかりと味わい

表現することだと思う。


悲しい場面で悲しむ。


辛い場面で嘆く。


そうすると

人生劇場のオーナーさんだか

脚本家さんだか、

観客の皆さんも、
どうやらとても

納得するらしいですね。


まぁ、そうだよね、

悲しい場面で喜んだり

辛い場面で楽しんだら

クレームくるよね。


本音はもうわかってることなんだもんね。


わたしがわたしのためにできることは
本当の本音を自分に許すこと。


で、そうしたら

その本音の延長線上?にね



こんな声が聞こえてきた。。。



あなたは
あなたの人生劇場の

主人公ですよね?


悲しいだけで 

この人生劇場は

終わらないですよね? 


この人生劇場は 

まだ続いてるよね? 


それだけ悲しめるのだから

それだけ、いやそれ以上に

愛と喜びを感じ表現できるよね?


悲しみだけのシーンしかない
そんなつまらない
人生劇場なんかじゃないよね?


あなたは
単なる悲劇のヒロインに

止まる人間じゃないよね?



あなたは
あなたの人生劇場を
全うするんでしょ?
(人'∀'o)ネッ




って

言われたもんで

思わず



ァィ(。・_・。)ゞ



と答えた。


なんだか、

私の本音は

どんだけわたしが

悲しもうと

嘆こうと、

悲劇のヒロインになろうとも、

それでも

絶対大丈夫!だっていう

絶対的信頼と安心を与えてくれる。



確固たる「肯定的自己否定」!



とっても頼り甲斐のある

めっちゃ大きな大きな愛。


それがやっぱり根底にある。



キリストも

それぞれの人生劇場を演じていること

知っていたのだろうね。



父よ、彼らをお許しください。
彼らは自分が何をしているのかわからないのです。



ただ

嘆き悲しみの一幕が

人生劇場の全てだと思い込んでたら

自分が誰かの人生の

脇役だと信じ込んでいたら

確かにこの大きな大きな愛と

絶対的信頼と安心感の中で

人生劇場を作り上げてるって

気づけもしないし

忘れてしまうのかもしれない。


それだけで人生が
終わってしまうこともあるのかもしれない。


本当は
「安心安全に」
どんな一幕であろうと
自分が主人公である
自分だけの人生劇場を全うできるように
いま私たちは生かされている。


好きなように創造し

好きなだけ味わい切ればいい。


それがわかったら

やっぱり思い切り

自分の人生劇場を全うしようと思えるね♪


だから

わたしは安心して

最愛の人への愛を

思い切り味わい切ることを

大切に人生劇場を続けようと思うのでした✨


そうやって

人生の醍醐味を味わう瞬間は

まさにデリシャスモーメント❤️


悲劇のヒロイン万歳✨あはは
( ´∀`ノノ゙☆パチパチパチパチ


心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて。

まみ


 LINE@ID: @dr.mami https://line.me/R/ti/p/%40emn2807g 

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