愛する人の遺骨と循環するいのち
仏様が坐禅を組んでいるようなこの骨は
第二頸椎です。
*画像はウィキペディアより拝借
上から見るとハートみたいにも
見えるような気もする。
解剖学で最初に学ぶ
この第1頸椎と第2頸椎の
輪っかと、この棒のような突起で
輪投げのようにぴったりなるペアは
なぜか可愛い(って私だけかな)。
火葬した後の拾骨の際に
仏教的には結構大切な部位らしいね。
彼の第1頸椎の方は彼の実家に、
彼の第2頸椎の方は私が今持っている。
先日、2年ぶりぐらいに
魂夫、卓巳さんの骨壷を開けて
取り出してみた。
遺灰というよりも遺骨のかけら。
もう一個の多分頸椎と頭蓋骨の一部。
こんなこと書くと
思いっきり引かれるかなーとか
やばい人だと思われるなーとか
まぁ、いろいろと思考はぐるったけど
でも私のために書き残そうと
このブログを書いてます。
だって
愛する人の全てが愛おしいから。
いやでも、
骨までさわることないでしょって
手元に置いとく必要ないでしょって
思うかもしれないけど
多分それは愛する人が死んだことないからで
もちろんひとそれぞれ考え方もあるわけで
わたしが出会ってきた人たちは
遺骨を大事に持っている、もしくは
持っていたい人が多かったし、
結局のところ、本人しかわからない。
本人さえわからないことだってある苦笑
もうすでにいのちはそこにはなくて、
単なる「骨」だけど。
それでもやっぱり
愛する人の一部だった代物なんだよね。
いや、その一部なんだよね、
今でも。
2年半前、愛する夫を看取り
手元に分骨してもらった小さな骨壷を
一部は散骨して、残りを今でも置いてある。
(この散骨のエピソードもいつか書きたいと思う)
で、2年前の記憶と大分変わったのは
こんなにも骨って脆かったっけ?ってこと。
卓巳さんは骨も含め、
全身転移していたであろう
末期ガンを患っていたので
そもそも骨は脆くなっていて
それでも2年前の記憶では
沖縄の海のサンゴのような音をして
(した気がしていて)
すごく透明感があって
なんだか生きているようで
いのちのエネルギーをそこから
まだ発散し続けているようだった。
だから触れることで、
パワーをもらっていたんだよね。
でも今回触れた遺骨は本当に脆くて
さくさくざくざく簡単に壊れて
まるで地球に還元されていくかのよう。
でも確かにエネルギーを発散し続けて
いのちを循環させてきたんだろうね。
そうやって彼のいのちはまた
さらにわたしとも融合して
一つになってきた感がすごくある。
もっと近くに、もっと一緒に。
形あるものはいつかは変わって
壊れたり滅びたりしていくけれど
無くなっていくものは本当は何もなくて
循環するいのちだけがそこにある。
そういうことなんだよ、まみちゃん。
そんな風な卓巳さんの声が聞こえて
だから全てはやっぱり繋がっていて
愛されているんだなと
ひしひしと感じて感謝の気持ちで
愛おしさでいっぱいになった。
こうやって生きていく人間が
悲しみを哀しみに、そして
愛しみへと昇華していくかたちが
いろいろあるんだろうな。
わたしにしかわからないからこそ
わたしがそのかたちを
私のために大切にしてあげたいと
心の底から思う。
こんなにも愛と感謝に溢れることを
大切にしないわけにはいかない。
もう直ぐ4年前になる秋に初めて出会った時
卓巳さんがくれた色紙。
いまだにこんなのくれる人
いるんだ!!と驚いたけど!笑
さすが、ずっと有言実行している。
そして今回
そんなにも久しぶりに
骨壷を開けるきっかけとなった理由としては
めっちゃ単純、、
世界の中心で、愛を叫ぶ
というテレビドラマの影響です笑
ちょっとネタバレだけど
主人公は後生大事に
あるものをずっと持ち続けていたのね、
17年間も。
そしてその17年後、
17年前を回顧するドラマ。
テレビがそもそもないので
テレビを観ないのになぜか
Amazon Primeで大人見!
ここらへんはラジオで
つらつらと(笑)話しました。
こうやって生きていく人間が
悲しみを哀しみに、そして
愛しみへと昇華していくかたちが
いろいろあるんだろうな。
わたしにしかわからないからこそ
わたしがその形を
私のために大切にしてあげたいと
今日はそんなブログ投稿でした✨
感謝🙏
参考ブログ記事
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