生きる希望をもって生きるということ
当たり前のことこそ
いつもの毎日の中で
感じることも
感謝することも
なかなかできなくなったりする。
でも
その
当たり前のことこそ
本当は有難くって
失って初めて
どれだけ大切だったのか
痛いほどに氣付ける。
その痛みが
深ければ深いほど
それだけ
その愛も深かったのだと
改めて体感することができる。
だから
氣付かない毎日も
氣付いてからの毎日も
大切で
愛に満ち溢れていることは
実は変わらない事実。
けれど
「ない」ことを体感するよりも
「ある」ことを体感する方が
やっぱりより嬉しい。
「ない」ことを味わうことは
思った以上に苦しくて
重くて、悲しくて、辛くて
生きる希望さえ
時には奪ってしまう。
最愛の夫が亡くなってから
去年一年はあんまり記憶ないし
今年に入って一周忌後からはもうずっと
いなくなりたい衝動との葛藤の日々だった。
(率直に言うと私も早く死にたい症候群)
そして、挙げ句の果てに
そんな心の思いが細胞に行き渡ったか
それとも全身細胞が生まれ変わったのか
二週間寝込んでしまった!笑
いや、寝こませてもらった。
正確には
「ない」のではなくて
「ない」と思い込んでいるだけ、
だからね苦笑
でも
それに私が氣づくためには
やっぱり
その「ない」をとことん
私が全身全霊で
これでもかって味わうことが
必要だったのかもしれない。
(マゾだからな(;´Д`)笑)
それで氣付けるから。
本当に
本当に
本当に
大切なことに。
本当は
今でも
たった一人の
一番大事な愛する人が
喜んでくれるから
嬉しくて楽しくて
頑張れる。
本当は
それだけで
幸せで
満たされる。
本当は
その
一番大切な
愛する人がいるだけで
どんなことがあっても
生きてることに
希望が持てる。
たとえその人が
カラダがなくても
いのちは永遠だから。
愛する人の存在は
究極の癒し。
愛された記憶は
いのちの万能薬。
私にとって
今日があることは
そうやって
愛し愛されてきた
わたしの歴史が日々更新されて
そうやって
わたしの癒しが日々
行われているってこと。
たったひとりでも
たったひとつでも
たった一瞬でも
愛し愛されていると
感じることができると
それだけで
生きることに希望が持てる。
本当は
そんな風に
全ては繋がっているんだと
感じられる私の中に
全てがあるのだと
その希望の光は
いつでもここにあるんだと
私自身のいのちが
今ここに教えてくれている。
真っ暗闇になって初めて
ようやく光が見えてくる。
心が引き裂かれる「悲しみ」から
思いを胸に秘めて
衣で口を隠してむせぶ「哀しみ」
そして、だからこそ
それだけ切ないほどに
慈しみ愛おしい「愛しみ」に。
今この瞬間の全てが
本当は宝物なんだと
氣付かせてもらえるために
今
全てが「ない」し
全てが「ある」。
わたしの
最愛なる宝物なリン姫も
今ここに
わたしの側にいる❤️
今日も生きる希望に
ありがとう(^人^)感謝♪
心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて。
まみ
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