悲しみミルフィーユを「味わい尽くす」「分かち合う」ことで癒されるのは、その悲しみが人間の本質「自分は誰」を明確にしてくれるから
悲しんじゃいけない
とか
泣いちゃいけない
とか
妬んじゃいけない
とか
羨んじゃいけない
とか
そんなことは無いわけで
それをちゃんと味わうことで
次に進めるんですよね
感情に蓋をせずに
とことん味わう
それが結局は財産になります
人生は何かを果たす為ではなく 味わうものだから
悲しみはいいもんです
本当に
人の痛みを分かつ事ができるから
悲しみをトコトン味わった方が 人生は豊かになるから。
看取りドキュメンタリー映画「いきたひ」長谷川ひろ子監督
昨日、
2回目の「いきたひ」公演
その中の臨終ワークでは
涙が止まらなかった。
ひろ子さんとご縁が繋がったのは
夫タクミさんを看取って十日後だった。
初めて「いきたひ」を観た。
流れでなんとそのあと、
フルートも吹かせていただき!(17分あたり)
そしてそれから
しばらくして
私のラジオ番組でも
お話ししてもらった。
生から生を見ることに
死を切り離して生きることに
あまりにも慣れている現代人は
死から生を見つめることを
生死を一連の現象として生きる回帰
そしてそこに付随する経験や感情を
忌み嫌う傾向がある。
人としても
医者としても
その視点によって
たくさんの相違がでてくるし、
時には反転したりする。
私もなんども戸惑いそして
なんども自分に問いかけた。
時代の流れとして、
いま、わたしたちは
この後者の視点をもう一度
思い出そうと、生きていこうと
自分たちの本質を
見つめ直しているようなきがする。
結局は死ぬ。
それは
すべての終わりというわけでもなく
諦めとか執着ではなく
単なる事実であり通過点。
それは
人として生まれてきて
いつかどこかで経験する事実。
それを
わたしたちは
どう受け止めて、
そして
わたしたち自身がいつか死ぬ時まで
どう生きて、
そして
どう死んでいくのか。
先日
めっちゃ久しぶりに
夫タクミさんの親友でもある
黒ちゃんと電話で話してね
彼は言ったんだよね。
俺も毎日思い出すわ〜。
。゚( ゚இωஇ゚)゚。
正直に言うとね
嬉しかった。
たった2回しか会ってないけど
今、私にとって
一番、一番大切なことを
共感できる人がいるんだって
勝手に思えただけで
すごく嬉しかった。
わたしが知る限り
たくさんの友人の中で
タクミさんが生前、
亡くなる前日に自ら頼って連絡したのも
そして惜しむ悲しみの涙を流したのも
彼に対してだけだった。
私自身
お通夜でもお葬式でも結魂式でも
ほとんど泣かなかった、
というより、泣けなかった。
ようやく
一周忌が過ぎて
今、毎日のように泣いている。
当たり前だけど
いろいろな悲しみ方がある。
人間の誕生は悲しみの誕生である。
長く生きれば生きるほど、人間は愚かになる。
避けられないしを避けようとする思いがますます強くなる。
常に手の届かないものを求めて生きるとは、なんという苦しみであることか。
明日を生きることへの渇望が、今日を生きる力を奪うのである。(荘子)
悲しみは悪者ではないし
人間の本質の一部ではないだろうか?
まみちゃんは
感情的でいたいだけなのだと思う。
そう昨日も言われた最近の私は
意図的に悲しむことを私に許し
そして時間をかけてその私を
できるだけ慈しみ受け止め寄り添い、
その思いをアウトプットしている。
だから、
そう言われても
当然だと思っていて
どちらかというと
感情的というより
まずは感傷的かとも思うんだけど
ただ湧き上がってくるものなので
私自身が今必要なことをしている
ただ自然なことだと思っている。
傷があると意識した時点で
自分自身をいたわり、
そして優しくなれるし
時間差は生じるにしても
いずれ勝手に癒されていくかね。
そんな自己治癒力が
わたしたちのからだにもこころにも
しっかりと備わっている。
だから
ただそこにいるだけで
共に在るだけで
その力は発揮される。
ただ、近い人には
わかってほしいという気持ちはあるので
残念な時もあるけれども
やっぱり自分がその立場にならないと
わからないことばかりなのは仕方ない。
「はやく悲しみを乗り越えられるといいね。」
「いつまでも悲しんでるのは良くないよ。」
そう言いたい気持ちも
言ってしまう気持ちも
わからなくもないけどね
あなたの一番大切な人も
死んだら分かるよ
そう言いかけたことは数え切れないが
言ってしまったこともあった。
頭の中で思ってることは
もっとえげつなかったりする。
あーやなやつだなーと
自分で思いながらも
そう言わざるをえなかった。
それだけやっぱり
他人のことは
わからないものなのだなと
切なかったし仕方ないと思った。
悲しいときは悲しみたいんだよ。
ムカつくときはムカついてるんだよ。
痛いときは痛いんだよ。
それだけやっぱり
自分が悲しみや痛みを
昇華しきれていないと
他人には優しくなれないのだなと思った。
そして
他人の悲しみの中に
自分の中にある悲しみが
共鳴させられてしまうことを
無意識に恐れているのかもしれない。
今まで
いろいろな患者さんやクライアントさんとのご縁の中で
振り返ってみると、でもそこらへんが
余計今を生きづらくしているのではないかと
切々と感じるようになってきた。
悲しみを感じないために
悲しみを認めないために
悲しみを解消するために
悲しみから解放されるために
頑張ってきた患者さんは多かった。
私もそんなところがいっぱいあった。
ほんと、共鳴の法則だな苦笑
でもようやく
悲しまざるをえない状況になって
そして
悲しみを味わい尽くしてきた人
悲しみを味わい尽くす人に寄り添う人
そんなご縁が結ばれて
そんなタイミングが自分にもやってきて
それは切ないし泣くし
化粧も崩れるけど
それはとても幸せなことだと
有難いことだとわかってきた。
悲しめば悲しむほど
じっくりと味わい尽くせば尽くすほど
悲しみは愛しみに昇華していく。
いま私の味わっているこの悲しみは
最愛の夫の死に対しての1次的な悲しみだけでなく、
それに付随した
彼のいないこれからの未来、
崩れた自分の人生の基盤を再建し生きていく
そのことに対する2次的な悲しみ、
そして、それまで
自分自身が溜め込んできてしまった
またはようやく認識できるようになった
昇華しきれてこなかった悲しみを、
悲しみ直す、みたいな3次的な悲しみ、
そんな
悲しみミルフィーユ
になってるっぽい(´。✪ω✪。`)
で、
このミルフィーユって一切れだけど
本当はもともと繋がっているから
親の、家系の、他人の、社会の、人類の、地球の
今まで自覚することができなかった
抱えてきた共通意識の中にある悲しみとも共鳴し
共存、昇華していく4次的な悲しみ。
もっと細かく分けられるけど
ひとまずそこらへんまであるみたいだね。
この悲しみミルフィーユ
あなたの冷蔵庫の中にはあるかしら?
もしあったとしたら
どんな風に召し上がるかしら?
この「味わい尽くす」、
それが
ポジティブ心理学の中にもあるだけでなく
伝統文化や宗教、
仏教やチベット密教やキリスト教など
瞑想や祈りの中に存在する
わたしたちが私たちの本質と繋がる
癒しのエッセンス。
直すとか解決することではなくて、
自分の本質を思い出すこと。
その全体性へと戻ること。
そしてその自分とは
時には笑い、楽しみ、喜び、
悲しみ、怒り、憎しみ、妬み、
そうやって今を生きているんだね。
そんな自分を
今日も私は味わい尽くす。
そして父のお誕生日だけど
大雨なので出かけることをやめて
一緒に実家で雨音を聞きながら
のんびりしてるよ。
こんなお誕生日もいいよね。
どうぞ素敵な1日を❤️
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じっくりゆっくり味わい尽くすことを分かち合う
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