味わい感じるからこそ謝らずにはいられなくなる。
感謝とは“する”ものではなく自然と溢れ出るもの
今朝は瞑想中に
本当にそうだなって
感謝の語源が気になってきた。
また新しい一年が始まる立春前に
今朝は何気に年末にしてなかった(苦笑
大掃除みたいなことをしたから
そんなこころのスペースができたのかも。
やっぱり新しい始まりのタイミングは
いのちの呼吸と同じく、
まずはしっかりと感謝で解放して
新鮮なエネルギーを取り込みたいよね。
癒しってのは
そもそもの全体性に戻る
ってことな訳だから
呼吸も吐いて吸って、で一つ、
そもそもの呼吸をするだけで
まず癒しになる。
けど緊張してる時って
気づかないうちに息止めてるのって
他の誰でもない私だもの(´・ω・`;)
自分でも驚くけど
そんなことになってる自分にまず
ごめんなさいって思う。
そしてそんな状態の時は
間違いなく
感謝ができないとき。
したくてもできない時って
息もほとんど吸ってないし
そんでまた息もほとんど吐いてない
浅い状態。
吸って吸って吸って
それでも頑張って吸っても
体に循環させてないし
代謝させてないし
吐き出さないから
余計苦しい。
そりゃ、感謝できないわ。
優しくなれなくなるのも当然だわ苦笑。
いっぱいいっぱいで
あっぷあっぷで
それなのに自作自演という苦笑(‐∀‐;;
だからそんな状態に気付いたら
ごめんと自分はもちろん四方八方に思う。
感じるが故に謝らずにはいられない。
謝るっていう時は
『射る』こと、つまりで
張っていた弓を放つことで
張っていた緊張が
緩むっていう意味もあるとか。
だから
本当は言いたかった言葉
そんな言葉には確かに
魔法のような効果があって、
その言葉が放たれると
そもそも息を吐き出すし
まるでガチガチに凍結していたものが
春先の氷のように溶け出し
その下には新しい命さえ
芽吹いていたりする。
そして
そのこわばっているもの
息を止めてしまっていることさえも
しっかりと「感じる」からこそ、
その
本当はどういう状態だったのか
本当はどう感じていたのか
本当はどう思っていたのか
本当はどうしたかったのか
本当は何を言いたかったのか
それがしっかりと味わえる。
そうすると
実はどれだけそこに
愛さずにはいられない
許さずにはいられない
謝らずにはいられない
そんな事実があったことに
今だからこそ
気づくことができる。
たとえ
どれだけ忘れられなくても
どれだけ許せなくても
どれだけ悲しくても
どれだけ恨んでいても
どれだけ苦しくても
仕方のなかったことだと
過去のことだと
終わったことにしていても
もしかしたら
それさえも感じられないほどに
どれだけ麻痺させて
まるでなかったことにしていても
わたしたちには
そもそも
そうやって感じることのできる
こころが備わっている。
からだと一緒で
こころも育てていくものだから
準備ができていないときに
負担をかけすぎてしまうと
不調を起こしたり
傷がついたり
時には
壊れてしまって
一時機能停止してしまうこともある。
もちろんそれは
自己防衛機能だからこそ
そうすることでなんとか
それでもからだだけでも、と
このいのちを
サバイバルさせるために行われる。
メインテナンス期間も必要な時もある。
心は
死んでしまった方が
今は楽だと思っても
それでも魂は
今死んでしまうよりはましだと
どこかで思っているから。
からださえあれば
必ず回復できると
必ずいつか
このこころも
全てを感じて
全てを受け入れ
全てを愛し
全てに感謝できる時が来る。
だってそのために覚悟して
魂はようやく
このからだとこころを手にして
ここに生まれてきたのだから。
そんな素晴らしいしなやかさを
こころはそもそも備えていると
知ってのことだから。
だから
その準備ができた時に
じっくりじっくり
感じ味わっていくと
それだけの覚悟をしてきた
自分の魂。
それだけのものを背負って
抱えつつもサバイバルしてきた
自分のからだ。
それだけのしなやかさを発露するまでに
これだけの年月を必要としてきた
自分のこころ。
それだけ息止めて頑張ってた自分。
そんな自らの魂計画のために
これでもかとお役割を全うするため
関わってきてくれた他人たち。
そんなにも各々の人生をかけて
自分とは誰なのか?
ということを体感・体現するために
自分も他人も全ての存在
全ての経験の理由は
結局自分の望んできたことなのだと
今を生きる自分のためだったのだと
体感としてわかった時に
ようやく
その全てに対して
申し訳ないほどに
感謝が溢れてくる。
感謝しか溢れて来ない。
みんな、全ては
自分がそこまで感じられるようになるまで
ずっとずっと待っていてくれたわけだから。
それまで何度もなんどもこれでもかって
お役目遂行してきてくれたわけだから。
恨まれようと
憎まれようと
嫌われようと
愛するが故に
自分のために
そのお役割に
徹底して扮してくれる
そんな存在は
どんだけ愛をもって
目の前に現れてくたんだろう。
それはそれは有難い
壮大な愛の魂ドラマでしかない。
そのドラマにようやく気付いた時に
その舞台セットやストーリー、
その登場自分達に、名優たちに対して
勝手に自然と湧き上がる言葉がある。
そんな有り難さを
体感してしまうが故に
感謝できる。
そしてそれを
体感する時とは
弓を放つ時。
攻撃や防護のための弓を
必死で構えていた自分が
感謝や喜びの弓を
世界に向けて放つ時。
一体何が起こるのか
楽しみでしかない( ´艸`)
本当に感じるからこそ
伝えられる言葉がある。
それがきっと
感謝の言葉。
今日も
ありがとう❤️
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