究極の癒しの瞬間 と 傷ついたヒーラー:Grief Shame

こちらのウェビナーの内容のまとめ、

と思っていたのに、

またまた気づき、その2!

になってしまった!!笑


でも大事なので投稿✨


先日のウェビナーで

輪郭線がはっきりとなった、

こちら。

わたしの中ではかなりの

やってしまった感というか、

申し訳ないというか、

いたたまれない感があって

数日見直してなかったのだけど、


昨日、ようやく!

自分でも見直しました!!


で、

私自身の感想。。。。。



あ、



思ったほど、、、、


ダメじゃなかった、

かも〜〜〜!?d(○´Д`○)b




ってかあれ?

結構しっかり話してたのかも?


しかも!


NLP的には(←ここら辺やっぱり真面目分析型苦笑)

目線が左上に何度もいってるから

やっぱり過去を振り返りながら

思い出し、思い出し、

一生懸命話してるんだな、

愛おしくなってしまいましたよ(இ௰இ)


そしてなにより、

ウェビナー放送直後から

メッセージもいただいていたのでした。。。


え、

感動するようなお話、

してたの!?

あれで??

できてたの!?( ´゚д゚`)


てそのときはすぐ受け取れず、

数日後また、

あぁ、先週お話くださった

心に光と彩りをと解ける

お守り作家・アーティストの

そしてホストしてくださった

勇敢な美を賛美するEYR
スピリチュアルライフコーチの

山崎未来さんから

こんなにも愛溢れるメッセージがーーーー (T▽T)


それなのに一体、

何をわたしは

ダメだとおもっていたのか!?


ウェビナーの話がぐちゃぐちゃなこと?


ホストを頼んだのに喋り倒したこと?



いやいや、

そんなことではありませんでした。

(いや、そこも反省してるけど!)


あぁ、

そしてここで思い出しましたよ。


そうだった、

そうだった。


わたしの癒す者としての原点を。



The doctor is effective only when he himself is affected. Only the wounded physician heals. But when the doctor wears his personality like a coat of armor, he has no effect. 
医者は自分自身が影響されたことがあるからこそ能力を発揮することができる。傷ついたことのある医者だけが癒すことができる。しかしその医者が人格という鎧のコートを纏うとき、癒すことができなくなる。
- Carl Jung: Wounded Healer of the Soul.



そうだった、そうだった、


君は「wounded healer」。だよね、


とメンターのDr.ローにも言われたことがある。


直訳すると「傷ついたヒーラー」

自分自身の傷ついた経験から

癒す能力を発揮するようになった癒す者たち

(だからこそ癒すことができる者たち)、

というユング心理学から発起したコンセプト。


実際2006年にイギリスで行われた研究、

癒しに携わるプロのセラピストたち、

その73.9%は何らかの心の傷を負った経験が

キャリア選択につながったと答えている。


その中で挙げられていた

心の傷となった出来事のカテゴリーは、

虐待、家庭環境、精神疾患(自他)、喪失、

社会・家庭問題(大人になってからの)、

命に関わる出来事、病気(自他)、など。


そうそう、

わたしも、

そうだった。

(ってか上記のこと、一つぐらい

みんな経験してないかな?)


ウェビナーの中でも話しているけど

わたし自身、色々と心身病んできた。

だから自分を癒すことが必要で

結果それを追求していったさきに

自然医学の専門医師、

というところに導かれた。


精神科医のDr.ローと共同運営していたクリニック、

Integrative Mental Health Center of Toronto (IMHT)では

こころと、からだと、たましいと、社会との繋がり、

その調和の中での最適なあり方を共同創造する、

そんなビジョンを持って取り組んでいた。


癒しのプロセスにおいて

わたし自身の中でも

教育課程の中でも

実践経験の中でも

臨床研究の中でも

大切だということを組み合わせたクリニック。


西洋医学と東洋医学と自然医学、

薬学療法から心理療法、波動療法から

スピリチュアルヒーリング、

レストランで言うと盛り沢山メニュー笑


その懐石料理みたいな?


季節や状況はお好みに応じて

コース料理にしてお出しする、

共に味わい、分かち合う、

そんなスタンスでした。

(そもそもそのコンセプトが

デリシャスモーメントな訳だけど)


話はもどってきて、

そうそう、だから大抵

わたし自身がわたし自身の傷の経験を

オープンにして分かち合うことを

心がけるようにしたんだったな。


隠そうと、隠さないといけないと

思っていた時もあったけど(遠い目)。。。

(それが💩のかけら癖!!)


以前からラジオやブログとかで

わたしたちのクリニックに来た患者さんに

「おめでとう」からはじめる、

というお話は何度かしているけれども、

そうそう、

その前置きがちゃんとあったんだった!


いろいろなところをたらい回しにされ

ようやく私たちのクリニックにたどり着き

ほぼ人間不信的になっている子供や若者たち、

そしてその大人たちにとっても

軽く衝撃的だったかと思う。


クライアントとなられた方に最初にお渡しする

ウェルカムノートのお手紙のはじめには、

太字でフォントも大きく、

びっくりマーク付きで

「おめでとう!」からはじまっている。


その後

わたしがこう言う経験をしてたからこそ

つたえられること、ってことで

わたしの熱い思いが数ページに亘って書かれ


あなたの癒しの旅はあなた次第だからね!
わたしも応援するけど、
あなたがあなたの人生の主人公だからね!


と念を押している(どんだけ暑苦しい笑)


それをわたしは知っているから、
これはその機会なのだから、
今すぐどうにかしなくても、
時間をかけてでもいいから、
焦らなくてもいいから、
しっかりと寄り添うから、
取り組んでくんでいきましょうね、

その機会にわたしと一緒に取り組むことを
選んでくれてありがとう。


そうやってこころから思えるのも、

そして書面にしてまで伝えていたのも、

やはりわたし自身の経験があったからだ。

(暑苦しい若さもあったけどw)


そしてまた、

心理学・心理療法において

気をつけておきたいコンセプト、

トランスファー、カウンタートランスファー

(逆転・反逆転)

と言うのがあるんだけど、


自分の癒えていない傷を

相手に投影して癒そうとしないこと、


これって大事なんだよね。

本当によくあるけど

丁寧に扱うことで

より深い気づきや癒しにもなれば

負のスパイラルの油に

火を注ぐことにもなりかねる。


医療だけでなくって

親子関係においても、

いろいろな人間関係において。


地球に生きる人間だからこそ

色々と感情の境界線が曖昧になることが

もちろん多々ある。


わたし自身が闇深い分(*´艸`*)、

いろいろな癒しを自分自身と向き合いながら

たくさんたくさん取り組んで学んでいました。

(やっぱり興味のある分野は勉強好きw)


生きることは癒すことでまた死ぬこと、

って循環しちゃうから果てしないけど、


その当時のわたしにとって

そうすればするほど、

かならず誰しも、

この目の前のクライアントさんにも、

その力が備わっていないはずがない、

これまでそのための経験を積み重ねてきたんだと

そうやって確信していったし、なにより

本人たちが目の前でそれを

証明してくれているようなことの連続でした。


それこそ、本当に感動の連続。


人って本当に思った以上に逞しく、

そして壮大で、尊く、美しい。


 “It is essential for the psychotherapist to have a fair knowledge of himself, for anyone who does not understand himself cannot understand others and can never be psychotherapeutically effective unless he has first treated himself with the same medicine” – Carl Jung  
セラピストが自分自身を良く知ることは最も重要である。自分を理解していないセラピストは他人を理解することはできない。まず、同じ薬で自分自身を治療しない限り、効果的なセラピーは決してできないのである。 ~カール・ユング


これはもう果てしないプロセスですね。


そしてだからこそ

当時のわたしのお手紙は

こんな風に書かれている。


わたしは、
ドクターという資格があるけど
あなたを癒してあげる人では
けっしてないんです。

治してあげることもできません。

ただ、
そのお手伝いをするだけです。

そのために必要な情報やツールを
分かち合うことはできます。

なぜなら、その癒す力を
あなた自身が持っているし、
それを発揮できることを
知っているからです。

むしろ、
それに気づく準備ができたからこそ
今、この状況が現実に
あなたが気づけるように起きていると
そう確信しているぐらいです。

あなたのなかに
あなたのドクターがいるんです。

わたし自身も
その過程を経てきたからこそ
ここにいるんです。

わたしもたくさんのかたに
助けられてきましたが、
結局わたしなんです。

医者がすごいとか、
ドクターにまかせればいい、
とか言うことではなくて

自分自身の中のドクターを
その癒す力を、本質を
思い出し、繋がり、
対話し始めることが
大切なんです。

あなたが、
本当のあなたを生きていくことを
あなた自身が実践していくこと。

わたしができるのは
そこのお手伝いです。


改めて、

そんなことを言っていたのだと、

そしてやっぱり今も変わらない、

むしろさらに強化されていると

今日のわたしは感心する(´ー`)

だからこそ、そう、気づいたの。

(めっちゃ長く引っ張ったけど!)


本当に大切な存在を失い、

人がひどく傷ついたとき、

そして

その喪失と共に、

その傷を負って生きていくとき、

やはりその痛みもあれば

それで必要以上の物を抱えたり、

これまでの「普通」が失われてしまったり、

それによって関係ないところまでにも

不都合が生じてしまったり、

何よりも、

その経験後、二度と、おそらく

その経験前と全く同じ状態には戻れない。



実はダブルの喪失を経験しているんだよね。



失ったその存在と、

失う前の自分自身。



そしてそこに、

負い目や恥辱

感じてしまいがちなんだよね。


ただ、自分だけだったら

そんなことはなかったかもしれない。


けれどもそこに

大切な存在の喪失、

と言う事実がある。


もう今までと同じように

何も知らなかったようには

振る舞えない。


けれども

相手も、周りも、世界も変わらないのに

(もちろん実際は全ては変容し続けているけど)

自分だけが元に戻れない。


それはまぁ当然で、

今までの自分はもういなくて

喪失を迎えた新しい世界の

新しい自分をなんとか形成しながら

その現状に生きていく必要がある。


それってなんだか、

体も記憶もそのままなのに、

感覚だけが赤ちゃんにリセットされて

自分は誰だったのか、

この世界と、そこにいる存在たちとの

ちょうど良い折り合いをまた

1から調整・構築し直すと言うこと。


リセットされたんだけど

まわりからはわからないから、

わかってもらえないから、

まるで傷がないかのように頑張って、

傷はすっかり無くなったかのように、

まるで何事もなかったのように振る舞って、

頑張らないといけない。


みんなそうしているから

わたしもそうしなくちゃいけない。



そう、

もうここまできたら

おわかりでしょう、わたしが

何を究極の「ダメ」だと

勘違いしていたのか。


それは



傷ついていること。


傷を背負ったまま

生きていること。


わたし自身が
傷ついた心の持ち主であること。


ノ´・o・`ノ||||| ノ゜Д゜ノ||||ノ´・o・`ノ||||| 




それに対しても

そんなわたしは💩のかけらだと、

ダメ出しし続けていたんだね。


これを英語だと


Grief Shame

悲嘆の恥辱?


みたいな呼び方をします。

ちょっと直訳に違和感なのだけれど💦



まだ悲しんでいるの?

もうそろそろ傷は癒えたんじゃない?

早く切り替えないと。

いい加減、浮かばれないよ。

言い訳にしておきたいんじゃないの?


そんな外側からの声に加えて


ドクターなのに?

ヒーラーなのに?

セラピストなのに?

いつまで悲劇のヒロインなの?


勝手に飛び交う言葉の弾丸の中

それでも傷を抱えて、生きていることを

恥じているわたしがいるのです。


そんな状態のままで何かできると思ってるの?

傷ついたままで役に立てると思ってるの?

自分も傷を抱えているくせに、
自分さえも癒せないくせに、
そんなあなたに何ができるわけ?



喪失の悲しみを癒すプロセスの中で

この恥辱(うううう違和感💦)とは

隠れキラーみたいな存在です。


なぜなら、

それは悲しむことを

許さないから。


その傷の痛みを感じることも

許さない。


その傷の存在さえも

許さない。


痛みも、悲しみも、傷も

闇に葬る。

沈黙する。

ジャッジする。



悲しみも痛みも、

その他の感情も

ようやく感じることのできる強さが戻ってくるまで

それだけ生きる気力が戻ってくるまで

自己防衛で麻痺したようになっている。



そこに差し込めるだけの光を取り戻し

声を出せるぐらい元気になって

受け入れられる心の基盤を整えて


勇気と慈愛と共に


悲しむことができること、


痛みを感じられること、


傷を抱えて生きられること、


それ自体が
本当の癒しのプロセス

そのものなんだよね。



 The wound is the place for the light enters. 

 その傷口こそがその光の入り口となる。RUMI 


その光がようやく全体像を

照らすことができる。


全体性を取り戻すことができる。


生きると言う、

いのちの感覚を

味わい生きていること、

そのものなんだよね。


いろいろな人がいるけれども、

わたし自身そういえば昔から

ガラス細工のような娘、だと

形容されたことが何度かあったけど笑


それだけ繊細で敏感なこころを

持っていたりするんだな、これでも。

そして、それはそれで、

そのままでいいのだよね。


何度も何度もやってくるけど

その度に

何度も何度も誠実に

わたしがわたし自身に戻ってくる。

その度に強化され進化する。


そうやって進化してきたのだもの。


そしてそれは

ただ傷を抱えながら生きていく、

そういうことではなくって、


そうやって感じられるからこそ

抱えているからこそ

さらなる深い愛と優しさで

抱き締めて、癒し続けて、

強さやしなやかさを培いながら

この人生を、いのちを味わい

大切な存在たちと生きていくことができる。


真の喜びを愛する人と

わかちあうことができる。


その傷が、まさに

勲章みたいなものになる。


まさに、

豊かさの共同創造✨

いのちの美しさを味わう

デリシャスモーメント💖


次回こそは、まとめをかくぞ!

心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて。



追伸:

これを書いていたら去年のラジオ

タイムリーなタイトルのが出てきた笑


自分に誠実であるというのは 
自分自身の未熟ささえも 
受け入れることができること。  

Deliciously TOKYOスターライト☆【第685回】自分に誠実であるというのは 自分自身の未熟ささえも 受け入れることができること。  

日々の気づきや思いを そのままつらつら話す つらつら癒しラジオ。 決めたはずなのに 終わらないプロジェクト。   今朝の気づきは 前回の「主体性」のお話より。   自分で自分の気分を悪くする 自分の頭の中の声を発見!?   自分自身に一番頼もしい味方で 本当にいて欲しいけれども そうはいかない時もある。 自分が言ったことを 信じてはいけない?!   わたし自身に誠実であるという 約束を守ることは 私がわたしを幸せにするということ。   決めると今まで見えなかったことが 目の前に見てくることがある。   こだわってやりたい 自分の中でのこだわり。   自分に誠実であるというのは 自分自身の未熟ささえも 受け入れることができること。   自責の言葉に反応しないこと。   誠実であるからこそ ありのままを受け入れる 優しさを体現し 共に生きていくことができること。 最後のちょこっと瞑想は Jonny Easton作曲・演奏の Forevr Sunshine を 癒し波動432ヘルツにて わたしたちの起源、 そこからこの世界を創造する力、 そもそもの本質である 愛と光にチューニングして 締めくくります。 どうもありがとうございます(♡´▽`♡)   心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて

Deliciously TOKYOスターライト☆【第685回】自分に誠実であるというのは 自分自身の未熟ささえも 受け入れることができること。  



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